午前中にせっせとひょうたんの水漬けを行ない、そのあとは

キキソソチベットまつり へ。

 

チベットマニアのわたくしとしては、もうよだれがたれそうなイベントであります~。

山奥にはためくタルチョー!! 注:タルチョ・・・経文を書いた旗。チベット文化の象徴。

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あいにくの天気だったので写真がちょっと暗いですが…。

 

小規模なイベントなので、ゆったりキャンプしつつ、でもティープなチベット感満載で、アットホームな雰囲気も個人的にとってもツボでした。

「チベット」というより、「インドのチベット」のローカルなレイヴみたいな感じですかね。

日本中のチベタンが集合してるのか?と思うほどチベタン率高かったです。ふと気づくと、周りがみんなチベット語話してたり。

 

チベット&インド音楽のライブの後、夜はドキュメンタリー映画「Bringing Tibet Home」の上映もありました。

「故郷の土を踏んで死にたい」とは亡命者の多くが抱く希望ですが、そう言って亡くなった父を見て、亡命チベット人であるアーティストが、チベットから20tの土を運び、ダラムサラに展示する というアートパフォーマンスを行う。その一部始終(とその実現への苦難)を追ったドキュメンタリー。

国境ってなんだ、故郷ってなんだ、難民ってなんだ、といろいろと考えさせられます。

映画の中で特に印象に残ったのは、ダライラマ法王がアーティストたちにかけた言葉。

教養ある中国人なら、チベットの現実を知れば共感してくれる。

だから私たちには現実を知らせる義務がある。

チベットの問題は中国の協力なしには解決できないし、

そうして初めて、中国人とチベット人は一緒によりよい未来を構築していけるのだ、と。

とかく「チベット=善、中国=悪」という単純化に陥りがちなこの問題を、やはりダライラマ法王は一段上のレベルから見ておられるのだなと思う。

一方、同じ映画の1シーンで、反中デモで「Shame on China!」と叫ぶ僧侶たち(一般的なFree Tibet運動はこういうスタンスなんだろうけど)。

チベタンたちの中国に対する心情はもちろんそう生易しいものではないだろうけれど、敵を創り出してその敵を批判しても、問題は何も解決しないし、そういうスタンスでいるのって逆に自分自身の心に空虚を作ってしまうような気がする。

理想論かなあ。でも法王の言うような考え方って、難しいけど価値あることだと思う。

 

さて、亡命チベタンの方に、「チベット(中国の)に行ったことあるんですよー」と言うとたいてい「どうだった?」「チベットは好き?」と聞かれます。

この質問、たとえばオーストラリア人に「私、メルボルン行ったことありますよ」と言って、「そうなの?で、どうだった?オーストラリアは好き?」と聞かれるのとはちょっと違います。

なぜなら、当のチベタンはチベットを見たことがないから。

ゆえに、答える方もなんだかいろいろ考えて妙に構えてしまう(オーストラリアの例の場合なら単に思ったことを思ったまま言うだけなんだけど)。

チベットに最も縁が深いはずのチベット人がチベットに行ったことがなく、チベットとは直接関係のない(がゆえに)自分は自由にチベットに行けるという、この矛盾。

こういう会話をするたびに、そこに1番縁を持ち、愛着を持っている人が自由に出入りできない という事実は、領土とか国とか歴史とか偉い人のレベルではいろいろあるんだろうけど、どんな理由があれ、やはりシンプルにおかしいと思う。

 

そんなわけで、久々にチベットのことや民族のことをあれこれと考えるよい機会になりました。

ともあれ、難しいこと抜きにしてもとにかく素敵にゆるくて楽しくてあたたかいこのイベント。

来年も、その次も、また開催してほしいです。(そして次回は晴れてくれー)